笠岡の島々を元気にする島づくり海社(しまづくりがいしゃ)
特定非営利活動法人かさおか島づくり海社
活動エリア | 岡山県笠岡市 笠岡諸島 |
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ジャンル | まちづくり 医療・福祉 地域安全 学術・文化・芸術・スポーツ 教育・学習支援 観光 食・産業、漁業、林業 |
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「島でいつまでも元気に暮らし続けるために」そのための仕組み作りを目的に、日々事業に取り組んでいます。大きく分けて、〇デイサービス運営やコミュニティバスの運行、買物支援サービスの提供など、暮らしを支えるための事業、〇海苔などに代表される乾物や、天然灰干し・魚々干(とっとぼし)など笠岡諸島の特産品販売や開発、笠岡諸島の公告活動など、産業を支え、生み出す取り組み、〇空き家対策事業として移住者の支援やシマ暮らしお試し住宅の運営、まちづくり観光ツアーの実施など、島とまちの交流をサポートする取組、〇島を舞台に介護研修や自然体験学習を行う学生、児童の受け入れ、また宿泊研修施設の管理運営を行う島での学びサポートの取組、といった事業を行っています。
離島としてのハンディキャップを抱え、過疎、超少子高齢化が深刻化する中、1997年6月に7つの島の有志たちが集まり「このまま何もしなかったら島は沈没してしまう。笠岡の島同士が協力し合って島を再生していこう。」と呼びかけあい、「島をゲンキにする会」を立ち上げました。夜な夜な酒を飲みながら、島をどうしたら元気にできるか・島に何が必要かについて話し合う日々が始まりました。
そうした話合いによって、お互いが他の島のことをほとんど知らなかったことが改めて分かりました。そこで、「島同士でお互いに知ることから始めよう。訪問し合って島同士で島民みんなが一緒に参加してやれることを何かしよう。」という話になり、7島合同で「島の大運動会」の開催を計画しました。
「島の大運動会」は、≪島をひとつに、心をひとつに≫をテーマに、島民が企画提案し、市が事業支援するもので、1998年5月、北木島を会場に第1回が開催されました。各島のほとんどの島民たちが北木島に集結し、島を離れ本土に移り住んでいる島出身者なども含め、5,000人もの人たちが参加する盛り上がりとなりました。こうして島を想う有志達の気持ちが、翌年に運動会という形で結実し、各島民たちが団結し・競い合い・ふれあい、笠岡諸島全体が燃え上がったイベントとして、参加した大勢の心に刻まれることとなりました。
こうした島で生きる若者たちの「島を活性化させよう」という熱い思いで繰り広げられる取り組みは、市に「島の住民が考え、行政が支援し、協働して島おこしを実践していく」という方向の重要性を再認識させるきっかけとなりました。
島の大運動会の盛り上がりを受けて島の女性たちから「私たち女性もお手伝いするだけでなく、最初の企画から運営まで全般に積極的にかかわりたい」との声が上がるようになりました。第1回運動会では男性ばかりが実行委員を務め、男性たちが決めたことを女性たちが裏方で手伝うという形だったため、翌年1999年に開かれた第2回目の大運動会からは、女性たちも実行委員に加わり、競技のことからバザーや昼食のことにいたるまで、企画の段階から積極的に関わりました。
こうして女性たちが協力、団結したのがきっかけとなり、1999年5月に女性ネット「笠岡諸島生き活き会」が立ち上がります。その後の生き活き会の女性たちの行動力は目覚ましく、女性目線での数々の取り組みは、2001年1月に笠岡諸島全体の女性を対象に行われたアンケート調査(島の生活、仕事、保健福祉、生きがいなど様々な分野から女性目線の意見を集めた)に繋がり、その調査内容は「笠岡諸島振興計画」(後述)にも大きく反映されることとなりました。
また、第2回目の大運動会では女性の活躍の他にも島にとって新たな取り組みのきっかけとなる出来事がありました。運動会のプログラムとして「島の討論会」が行われ、そこに出場した市の助役らに対して島民の代表が想いを伝えるというものでした。
「市は財政投資を島にするよりは、そうした専属で事務局をやるような”人材”を投入してくれた方が非常に効率的で助かる。」「市は陸から眺めるだけでなく島の人と一緒に汗をかいてサポートして欲しい。僕らが役所に行くのではなく、役所が島に来てくれ。」
当時の市長はこの島民の主張を重く受け止め、島に島民のサポートをする市職員を派遣し、そこで島民と交流する中で声を受け止め、島の力を引き出そうという施策のアイデアを実施に移す事にしました。そのアイデアは2001年4月に海や島で活躍する人を応援する部隊ということで「島おこし海援隊」(以下、海援隊)と名付けたチームの編成に繋がりました。隊員は島に拠点を置き、住民の1人のようになって住民たちと共に汗を流し島おこしを行っていくというもので、その人選には立候補という形が採られました。
市長は決意を持って手を挙げた3人の隊員に対して特命として「島民になれ。市職員としてではなく島の住民となって働いてくれ」との一言を伝えました。
- 島づくり意識の高揚。そしてかさおか島づくり海社の結成 -
若者たちによる全島合同の「島の大運動会」が毎年盛大に開かれ、女性たちのネットワークも広がりを見せ、さらに市が島に海援隊を派遣する中で、2002年3月、島民たちと海援隊の隊員が一緒になって、「笠岡諸島振興計画」を策定しました。この計画づくりが島民たちの意識を高め、その後、様々な活動を展開し活発化させる契機の一つとなりました。
そうして島民たちが島の将来を考え話し合いを進める中で、「笠岡諸島の7島全体を一つの会社組織のようにみなし、島のために働けば何らかの利益が上がるという仕組みを作ろう。利益が上がることで島民たちが積極的に関わるようになり、生きがいも感じられるようになる。そうすれば、島民みんなが生き生きと輝くような島づくりができるのではないか。だから運動会だけでなく、あらゆる島づくりを7島合同でやろう。そのための組織を立ち上げよう。」といった構想が生まれました。
その想いは2002年8月、7島それぞれが特徴を活かしながら島づくりをする島民組織(任意組織)「電脳笠岡ふるさと島づくり海社」の立ち上げに繋がります。組織の体制は、島民全員がメンバーとなり、北木島に統括する本社を置き、各島にはそれぞれ支社を置くという仕組みで、各島支社が島づくりの事業を計画し、それを本社会議で議論して決定するものでした。
事業が決定されると、本社が事業費を支給するが、支社は支給を受けた事業費3割を5年間で本社に返済する仕組みとなっており、収益事業を行い自立していく動機付けとなっています。
その後、2006年9月にNPO法人格を取得し、「特定非営利活動法人かさおか島づくり海社(しまづくりがいしゃ)」と名前も新たにしました。
日々の取り組みで、「自分は何故、何のために目の前の仕事を行っているのか」というのを常に確認し、そこに向かって真っすぐ進んでいけることではないかと思います。その分のしんどさは当然ありますが…。
団体としての目標は、これからも島で暮らし続けたい、島で暮らしてみたいと願う人のサポートを行える団体であり続ける事です。私個人としての目標は、そのように組織が存続できるように動くこと、そしてそういった中間支援のノウハウを高め、同じような社会課題で困っている他地域でも展開できるような内容にする事。その取り組みを通じて私個人の能力を高め続けること、です。
島に足を運んでください。気に入って時々足を運んでいただけるようになったら嬉しいです。何か手伝ってみたいなと思っていただけると、もっと嬉しいです。いつでもご連絡ください。
取材者のコメント | |
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古川勇樹 | 現在のような組織化された島の活性化組織に至るまでの、島の皆さんの気持ちの変遷や、徐々に機運が盛り上がっていく様子など、ドラマチックなストーリーをいきいきとお話しいただき、笠岡の島々とそこに暮らす人々についてもっと知りたいと思うようになった。うまくいくことばかりではないし、しんどいこともいろいろとあるとのことだったが、島の皆さんが故郷を自分たちの手で変えていこう、盛り上げていこうとしている力強い活動の数々は、同じような状況にある他の多くの地域にも刺激を与えることだろうと思った。 |
団体・プロジェクトの概要 | |
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代表者 | 理事長 鳴本浩二 |
住所 | 岡山県笠岡市北木島町9768-1 |
TEL/FAX | TEL 0865-68-3741 / FAX 0865-68-3150 |
お問い合せ | info@shimazukuri.org |
URL | http://www.shimazukuri.org/ |
主な受賞歴や実績
平成22年度豊かな村づくり表彰 農林水産大臣賞